『未病=日常生活を治める』
最近東洋医学において、このような表現が盛んにつかわれています。
ところが、いまひとつしっくりとこない説明が多いようです。
未病とはいまだ病に至らざるところであり、 病の一歩手前という認識ではない
こと、
つまり、日常生活を指している言葉です。
仕事をお持ちの方はその業務が日常です。
それを強調するために治という動詞を用いて、「治める」という概念を古典では表わしているようです。 (たとえば、河の水があふれない、 また、かれないように前もって適切な処置をしておくことを 治水と呼ぶように、この未然に防ぐといった雰囲気でしょうか。)
治という言葉は、とても難しいですね。
しかし、他にも例を挙げれば、
体の表面にできた傷は、いずれ、ふさがりはしますが痕は残ります。
全く元通りになおった。というわけではなく、おさまった状態といえるのではないでしょうか。
日常生活において、このようにおさまった(肩こり、腰痛その他に悩まされない)状態の獲得、健康の維持、また、生活の向上は、ちょっとした知識、適切な指導のもとの軽度の努力、少々の勇気をもってすれば、得難いものではないと昨今の研究では明らかにされております。
『腹圧を上げ、肋骨を引き下げる。』
現代社会において、特に忘れがちなことに呼気が挙げられます。
コンピュータなどで集中することが長いとついつい呼吸が止まっていたりしませんか?
日本語では「一息入れる」とか、「一服つける」という表現があります。
これらは、仕事の効率と呼吸の関係を端的に表したものです。
また、ぜんそくや、過呼吸、パニックなど
吸気が呼気を上回ることが原因とも言われています。
呼気の大切さは、あらゆる競技・スポーツの基本の中に見ることができます。
走行するという行為はすなわち腹圧を上げて、体内の炭酸ガスを排出すること。
また、呼気の強化です。
また、呼吸と精神活動の関係も昔から言われており、
肩で息をしていたり、青色吐息だったりすると思うような結果が出せなかったり
緊張すると肩が上がったりします。
肩が上がるのは、本来吸気時の主役は横隔膜(注:横隔膜は強化は歌唱や呼気の妨げになります。)
ところが、そのサポートである筋肉(斜角筋など)が
主役を差し置いて過剰に働き肋骨を引き上げていることが主な原因です。
では、その対処法はあるのでしょうか?
有ります。
まず、『腹圧を上げる方法と、肋骨を引き下げる方法』 を体得して、
日常の生活動作の中に組み込んでしまえばよいのです。
導引吐納=各種運動指導とは、
導気令和 引気令柔=意と気と力を一致させる
意【方向】と
気【呼吸】によって動きを導き
力【動作】を求める、目的と手段の一貫した手法です。
また、習熟することにより
自身による再現性(良好な状態の維持)・
ご家族との日ごろからの実践(トレーニング)が望めます。